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2016年の反省・2017年の抱負 

もう抱負しか描いてないじゃんこのブログ・・・w

お久しぶりです。坂井アキローです。

すでに毎年恒例ですが、年始の抱負を日記として書かせていただきます。
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2015年の反省・2016年の抱負 

みなさん、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

ブログね。うん、2年も放置してたよね。やばすぎるよね。
今更ここに書いても見る人もおらんと思うけど、一応書いとくね。
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2014年の抱負 

みなさん、明けましておめでとうございます。
お久しぶりです、坂井アキローです。
もう年も明けて2日も経ちますが、皆さんはどうお過ごしでしょうか?
こっちは久々に長い年末年始の休みを利用していつもより長めに帰省してました。父の還暦祝いをしつつ両方の親の祖父祖母に顔を見せて、おせち作りの手伝い雑務、明けてからはおせち処理班に初詣と…まったりながらも濃い帰省でした。

そんなこんなで年末の総括日記を書けなかったので、この新年の日記で統合して書かせて頂くことにします。



■自分にとっての2013年

2013年は様々なことを起こり、また色々なことをしました。

職場では看護士さんが異動や休職があって、それを課全体で助け合って仕事をやりました。
今までにない動きや仕事に最初は戸惑いましたが、今はそれにもだいぶ慣れてきたところです。

私生活では、友人との交友が例年にも増して多くなりました。
一時期は「毎週会ってるなw」というほど面合わせる人もいたくらいで。また、今までは行くことがなかった系統のイベントにも大小様々なものに参加して。おかげで週末は全て予定が入ってるという自体まで起きましたw いや、以前はこんなことなんてまずありえなかったので、嬉しいことです。


その中でも特筆したいのは、ニコニコ動画に於いて仲間と始めたゲーム実況です。



事の始まりは、2013年から更に遡り2012年。友人4人がゲームで実況を始めると企画しており、
ちょうどその頃自分もゲーム実況に興味を持っていたこともあってそのメンバーに加わることに。

実稼働したのは4月から。上に載せているMinecraft以外にもいろんなゲームで実況に挑戦し、時には全員集合し顔を合わせて実況をしました。すごく楽しかったし、こんなことは今までなかったので非常に思い出深かったです。
もともとは絵や曲の創作をしていた自分ですが、なかなか表現が思うようにいかず形としてお見せする機会がめっきりでした。しかしこのゲーム実況に携わって、やってきたことを形にすることを僕自身再び体感させられました。このことは、2013年で一番の収穫だったと思います。




■そして2014年


2013年のテーマは「考動 ~ACTION~」でした。
考えて、行動に移す。
ただ行動に移すだけでなく、ちゃんとどうすればいいか・どうしたいのかを考えてから行動する。
先に述べた実況も含めて、飲みや食事の企画など、そうやって行動したことは(結果として上手くいってるかは問わずに)自分にとってとても勉強になりまた経験になりました。
しかし、そうやって考える上で「どうせ~だろう」「自分じゃ~出来ない」の感情にぶち当たって、或いは自分に甘えてしまって実際に行動に移せていないことがある・・・ということにも気付きました。



だとすれば、自分に必要なものかは何か。
それはきっと“恐れない事”だと思った。

2014テーマ


だから、昨年とそれまで出来ていなかったことを今年のテーマとして書初めで表しました。
「出来る・出来ない」という可能性ではなく、あくまで第一歩は「やるんだ」という自分の意志もって行動に移す。その積極性と、不可能性を恐れない意志(=willing)をテーマにしていくというわけです。今年はもっと形にしよう、結果を出していこうと思います。
と言って、何も考えないのではなく、また拘りすぎて焦るのでもなく
あくまで今まで蓄積してきた方法論や可能性に基づいて行動していこうとは思っています。


人生における宿題も大分溜めてきてるのでねw そろそろ色々出していきますよ。
みなさんどうか、2014年のアキロ-に括目しててください!



それもこれも、
家族に始まり友人に至るまで
自分を取り巻く全ての人があっての自分ですから。
今度は自分が与える側になれるように精進していきます。





そういうわけで、みなさん今年も宜しくお願い致します。


離れてゆく“えにし”もある。 

こんばんは。坂井アキローです。
ご無沙汰してます。


気が付けば2月もそろそろ下旬にはいるところまできましたね。。。

毎年年始(特に1月)は精神的に暗くなりがちだったりするんですけど、
今年もなんとかそいつを乗り越えられたかなと思います。

今はだいぶん心が安定してます。





1月は結構つらかったです。

というのも、“独り”であることを初めて何度も痛感させられて、胸が苦しかったから。
原因は
去年親しくなった人がどんどん遠くなってしまったことです。
そして独り暮らしで家族がいないという事実がそれに追い打ちをかけてきた。

年末から年始かけて
転勤だったり、転職だったり、入院だったり、遠くの場所へ行ってしまったり、時間が合わなくなったりして
直に会いづらくなった。



かなり人恋しくなったのは、正直なところです。



だから
時間をかけて、ゆっくりとその切ない気持ちに向き合った。
この気持ちをどうすればいいのか、
自分が今するべきことは何か。



その結果、
「独りだったら一人でしかできないことをやろう。」
「今の自分ありのままで、積極的に人と関わろう。」
という結論に辿り着いた。
結論が出ると、不思議と心が落ち着いてきた。
なおかつ、このやり方でいいんだという自信も生まれてきた。
今は、自分のやるべきことを見据えて、地味ながらもこつこつと毎日を充実させられるように一生懸命やってる段階です。




今思えば、
コレもじいちゃんが教えてくれたことなんじゃないだろうか。
じいちゃんが亡くなってから、そういうだんだんとそいうった状況になっていたから。

離れていく…時として消えてしまう“えにし”だってある。
拾うばかりだった俺の人生に、「一期一会」の真の意味を教えてくれたのかもしれない。


だったら今
後悔しないように一生懸命生きればいい。
失敗してもいい。
どうしても離れていくものなら、それでもいい。



自分が歩んできた道はすでに歴史になったのであれば、
今ここからの人生は、自分自身で“采配”する。




坂井アキローというパーソナリティをより強固なものにするために
一生懸命生きていこうと思います。


じいちゃんが旅立った 






2012年12月17日12時04分に、じいちゃんが亡くなった。

昨年に脳梗塞で入院、今年の10月には肺炎を起こして「もしかしたら長くないかもしれない。」と先週聞かされた矢先のことだった。
先週土曜日の午前の仕事中、母から「危ないから富山に帰ってきて」という電話から出発の準備をする間もなく、とうとう逝ってしまった。


電車で富山に着いたのは午後7時半。葬儀の手続きは殆ど済んでいたので、会場へ向かった。幸いにも駅近くだった。
部屋に行くと、父さん母さんに婆ちゃんと親戚のおばちゃん、そしてじいちゃんもいた。じいちゃんの顔を見たら、本当に寝てるみたいに穏やかな表情だった。
それを見たら、少しだけ安心した。


日曜日の湯灌の儀と納棺と通夜、それと月曜日の葬儀にはたくさんの人が来た。



途中途中で、何度も泣いた。
悲しいのが胸から喉の奥を突き上げるようにのぼってきて、何度も目が熱くなった。


じいちゃんがいないことよりも、いないと実感することが何より寂しく感じた。





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身内の不幸があったのは25年生きていて初めてのことだった。だから訃報を聞いてから4日間の間、何度も「死」について考えた。というより考えてしまった。考えざるを得なかった。


結果、引用だけど、ONEPIECEでチョッパーの師匠Dr.ヒルルクが行っていた名言が多分一番あてはまると思う。

「人はいつ死ぬと思う?(中略)人に忘れ去られた時さ。」

だから、じいちゃんが生きていたこと、生きている間に教えてくれたことを忘れないようにしようと思う。葬式も含めて今日の今日までじいちゃんと共に生きた時間を覚えておこうと思う。




じいちゃんは、半端なく優しかった。
また人をして「明るくて朗らか」で「豪胆」で「いつも冗談ばかり言う」、時代が違えば豪傑になっただろうと言わしめる人物だった。
俺の記憶の限りでは、じいちゃんに怒られたことは一度もなかった。
じいちゃんに育てられた父さんも、ほとんど怒られたことが無いらしい。
その優しさは、小さい時に親を亡くし、また若い頃に戦争でシベリア抑留で強制労働を強いられた辛い経験から来るものだったという。

実は、シベリア抑留について生前にじいちゃん本人から聞いたことがあった。拙いながらも、じいちゃんの戦争体験を俺自身が次の世代の人たちに伝えていくべきじゃないかという思いで話を聞こうと考えたんだと思う。
じいちゃんの話だけでもすごくつらい思いがした。でもじいちゃんが体験したものは俺の感じるものを遥かに超える、想像を絶する辛さだったと思う。


しかし、実生活のじいちゃんは、そんなことも感じさせないくらい明るかった。
好きなものは酒とタバコとチョコレート、好きなものをとことん楽しむ人だった。
俺が小さい頃はずーっとテレビ見てた。庭いじりが上手で、一番大きな松の木の冬囲いも全部自分でやっていた。ほうれん草にダッバダバと醤油をかけて食べてた(笑)。

昨年脳梗塞で倒れて以来、ずっと病院生活だったけど、好きなチョコレートだけは食べていた。今年の夏に俺が病院に行った時も、アルファベットチョコレートを出してきた。

一方で、仕事は市役所勤務。察するに、頭はかなりキレる方だったと思う。
尚且つ情に厚かったらしい。


そういうじいちゃんの人柄だから、たくさんの縁が生まれて、葬式の時にもたくさんの人が来たんだと思う。





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葬式の際に、生前から親交があったお寺の住職さんが「陽照院釋精道」という法名を付けてくれました。これを見たとき、なんか運命的なものを感じた。
俺の名前・坂井暁郎の「暁」と陽照院の「陽」、どちらも“お日様”、太陽を表す字だ。
単なる偶然じゃないと思った。

それを見てから、なんとなくだけど、
じいちゃんのように自分を愛し、且つ多くの人に愛される生き方ができるようになろうと思った。


俺の中では、じいちゃんは人生のカリスマだと思う。
好きなことを好きなだけ楽しんで
でも人を思いやり、決して不平不満を漏らさずに誰にでも優しく。

未熟な俺には決して真似なんてできないだろうけど、

じいちゃんが辛かった経験、
そして
言葉じゃなく教えてくれたこと
俺が見ていたじいちゃんの姿
じいちゃんの良いところ

それを忘れずに心に留めて、次につなげていけるように
未来へ向かって生きていこうと思う。



なに、天国に旅立っただけさ。じいちゃんは川渡ってホンマの太陽になっただけ。
じいちゃんはきっと見守ってくれてる。ときどき見えなくなることもあるだろうけど。



だから過去を振り返ることなく
未来に向かって今を一生懸命に生きようと思う。


いつも通りの坂井暁郎らしく、器用じゃなくてもいいから一生懸命に。
そしていつも以上に、生きることにひたむきに。

精いっぱい生きて、目いっぱいみんなを愛そうと思う。


お疲れ様
ありがとう
じいちゃん
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